ニンニク醤油が食欲をそそる長野県名物「山賊焼」

「信州のそば」の話(1)

長野のこと

信州は、現在のそばの食べ方の主流である「そば切り発祥の地」といわれています。芭蕉の門下であった森川許六という人物がその著作の中で、「そば切りの発祥は信州木曽の本山で、これが世に広まった」という説を紹介していることが根拠となっているようです。

本山宿(長野県塩尻市)

同じく木曽・須原の定勝寺には、国内最古のそば切りについて記した資料(1562年)も確認されています。庫裏の修理の際に、そば切りを振る舞ったということが書かれているそうです。

木曽・須原の定勝寺(木曽郡大桑村)

江戸時代には、十返舎一九が「東海道中膝栗毛」の続編として執筆した「続膝栗毛」の中で、木曽・上松の「寝覚の床」の前にある越前屋というそば屋での話を挿絵付きで書いています。ちなみにこの越前屋さんですが、現在も営業しています。

十返舎一九「続膝栗毛」の挿絵(越前屋の図)

このように、信州のそばは日本有数の歴史をもっているのです。

そして、信州高遠のそばを福島県に広めた保科正之や、松本のそばを広め出雲そばの礎を築いた松平直政などの人物は、わが国のそばを語る上で重要な役割を果たしています。

また、一口に信州そばといっても、さまざまなそばがあり、そんなことについても今後触れていきたいと思います。


執筆/オンラインショップあんず